ふと、朝刊のスポーツランを見ると、昨夜の阪神タイガースはヤクルト・スワローズに大勝したみたいである。
2本の満塁ホームランを外国人選手が打ったというのだ。
さぞ、私のジジイフレンドたちやコーラスの男声たちは狂喜していることだろう。
姿が眼に浮かぶ。
と言って皆で飲み会で祝杯も上げられないし。
亡夫と甲子園に観に行くときは相手がヤクルトだと大抵負けた。
応援席にはヤクルトファンが少数で殆どがトラキチの集団だったのに。
村上春樹の新刊短編集の中に「ヤクルト・スワローズ詩集」がある。
読んで思い出したのは、亡夫の公民館の俳句のクラブの友人だったO村さんのこと。
彼は割に近くに住んでいた。
うちから徒歩20分ぐらいか。
夫とは15年の年齢差が有ったが、なぜが仲良しで、家に来て俳句誌の編集をしたりしていたし、夫は車の運転を止めていたので、夫の運転手みたいに夫にこき使われていた。
口数の少ない人で、騒々しい夫が一人で喋って、彼は「は、は、は」と笑っているだけ。
物静かな俳人だった。
公民館からのバスツアーで神戸に行ったときも一緒だった。
そのときは美術館で「ギュスタフ・モロー」の見学も含まれていた。
夫は絵が分からない人だったから、さっさと出口の方へ去ったが、ゆっくり鑑賞していた私はふと気づくとO村さんは静かに熱心に絵を鑑賞していた。
俳句を頭の中で練っていたのだろうか。
夫の叔母が住んでいた奈良の家を処分する前に、整理に行くのにも彼の車で行った。
夫のワガママに「嫌」と言えなかったのか、もしかしたら夫と一緒にいると楽しかったのかも知れない。
その日の彼は珍しく運転しながら明るい声でしゃべっていた。
内容はプロ野球のことで「ヤクルト・スワローズ」が快調に進撃している時だった。
珍しいチームが好きなんだな、この人は、と私は後ろの座席で黙って聞いていた。
昨夜の勝利のあれこれを、楽しそうに勝ち誇ったように夫に喋っていた。
夫は阪神ファンだったから悔しいけど、会話が大いに弾んでいたのを思い出す。
「O村さんはけったいな人やで〜ヤクルトみたいなん好きやねんて〜」と夫は私に云った。
なぜファンなのか?聞くのを忘れたか、聞いたのに忘れてしまったのか、今となっては定かでない。
夫の話から彼は心臓の持病が有って、あまり健康ではなかったようだった。
夫が脳梗塞で入院中に何度か見舞いに来てくださったのに、たまたま私は病室に居なくて会えなかった。
一言もしゃべることが出来ない夫と二人で病室にいて、どう思って居られただろう。
静かな夫に落胆したに違いない。
夫が亡くなって葬儀の後、私は雑事に追われO村さんにお会いする機会も無かったが、彼が既に1ヶ月も前に亡くなられて居たことを聞いたのだった。
悲しくて泣いた。
「ヤクルト・スワローズ詩集」を読んだら、忘れていた思い出が蘇って悲しかった。
奈良で 飛鳥資料館 2005年5月