眠くて眠くて・・・大あくび。
顎が外れるよ。
今朝、娘がまたZoomでアメリカ人の友達Tと会話していた。
終わりがけに私もちょっと顔を見た。
彼女に会ったのは2001年7月。
もう20年前になる。
少しも変わっていない、懐かしかった。
「お母さんのヘヤースタイル素敵」って言ってくれた。
私は庭に居たので汗を垂らしていたのだけど。
娘がボストンで勉強を始めて、夏休みになるので遊びに行った。
一人での海外旅行は初めてではなかったけれど、この時はちょっとしたアクシデントが有って大変な思いをした。
直行便ではなくてデトロイトで乗り換えだった。
ボストン行きの搭乗口で待っていたら、何やらアナウンスが始まった。
早口だし、理解出来ない。
「?」
何度も繰り返す中で「サンダー」って言葉が聞こえた。
「雷ってこと?それがどうしたんだろう」
こんな時に限って日本人が見当たらない。
日本人の若い女性が本を読んでいたので「何て言ってるのか教えて下さる?」と尋ねたが「聞いてなかった」と教えてくれない。
仕方なく自分で聞きに行った。
どうもボストン空港が雷と大雨で着陸できず、この便は飛ばないらしい・・・(@_@)
次の便は何時で何番ゲートで待てば良いのかと必死で聞いた。
(私は教会の英会話教室へ通っていたが、劣等生だった)
ああエライコッチャ、娘は空港へ迎えに来てるから遅れることを連絡せなあかんわ。
スマホはまだ無かったし。
電話を掛けなあかん・・・公衆電話は見つかったけど、どうやってかけるか分からへん。
隣で掛け終えた人に聞いた。
「この電話はどうやってかけるのですか?」
この人は親切で「売店でカードを買ってきてかけなさい」と教えてくれた。
その通りに売店で買ったカードで娘の部屋にかけたら、出てきたのが同室のTだった。
「Nは留守だけど伝えておくよ」
と言ってくれた。
「ほっ」
次の便まで5時間待たねばならない。
サンドイッチと飲み物を買って、早々とそのゲートへ行って待った。
読書で時間を潰す。
沢山の人々が待っていた。
子供も多くいたが文句も言わず楽しそうに過ごしていた。
長~く待ってようやく機長さんが向こうから歩いてきた。
待っている人たちは拍手!客室乗務員さんにも拍手。
全員ニコニコ顔で乗り込んで無事にボストン空港に着いた。
待っていた娘は「遅れることは知っていたよ」としゃらっと言って心配していた様子はなかった。
私は予約してくれていたホテルに泊まった。
次の日は晴天、娘とボストン観光をした。
お昼はTも一緒にレストランで食べた。
「ダックツアー」に乗ったり、ボストン美術館やイザベラ・ガードナー美術館、有意義に楽しく過ごした3日間。
最後の夜は「独立記念日」で川辺で花火が上がり「ボストン日本語教会」の人たちと一緒にボストンポップスの演奏と花火を楽しんだ。
娘は夏休みに入ったので二人で電車に乗ってニューヨークへ遊びにいく。
この時、ニューヨークにはまだツインタワーが有ったのだ。
帰りは一人でケネディ空港から日本へ帰り、娘は電車でボストンへ帰った。
ZoomでTの顔を見て思い出した、20年前の思い出。