寝てばかりの1日だった。
8月は毎年目の調子が最悪になる。
エアコンの所為かもしれないけれど、痒いのである。
汗を掻く首筋も痒くて・・・で、アレルギーの薬を飲んだ。
(眠くなることがあります)って書いたあるな、と思いながら飲んだ。
朝の用事を片付けて昨日の洗濯物にアイロンをかけて、ちょっと寝ましょう、とベッドに横になったら昼まで寝てしまった。
お昼ご飯を食べてドラマを観ていたら、途中で眠くなって筋が飛んだ。
「眠い・・・」
またベッドで横たわって目が覚めたら4時だった(@_@)
目のかゆみは無くなったけれど、今日1日の私の時間はどこへ行った?
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十戒の第一戒を要約すれば「神は唯一である」ということである。
しかし、どんな神々も受け入れて拝むことが「成熟した寛容さ」のように見なされる日本においては、キリスト教は「排他的」と言われてしまう。
「この神は唯一」と言うことをどう理解すれば良いか。
聖書 出エジプト20:1-3
「神はただひとり」とは以下の内容をもつ。
1、創造者と被造物との関係における唯一性
人間の世界で「母」と言う存在は多くても「あなたを産んだ母は私です」と言うのは排他的か。
そうではない。
同じように、人間を造られたのは「わたしひとりだ」と言われる神である。
人間の創造者は神おひとりなのである。
その創造の関係において神は唯一なのである。
このわたしが地を造り、
その上に人間を創造した。
わたしはわたしの手で天を引き延べ、
その万象に命じた。 イザヤ45:12
2、救いの関係における唯一性
2節に「あなたを導き出したあなたの神」とある。
エジプトという霊的な意味での「罪の世界」から救い出されたのは主なる神ひとり、
その救いの関係における唯一性である。
この方以外には、だれによっても救いはありません。
天の下でこの御名のほかに、
私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。 使徒4:12
3、信仰者との1対1の個人官営を求める唯一性
父なる神は人との個人的交わりを求められる神である。
その交わりは1対1である。
よく言われる言葉に「神は『孫』をお持ちにならない。神は『子』をお持ちになる」がある。
神は誰かを通しての関係でなく、直接神と人間との1対1の関係を求められるのである。
別の言葉で言えば「我と汝」の関係。
あなた方を形造った方、主はこう仰せられる。
「恐れるな。わたしがあなたを購ったのだ。
わたしはあなたの名を呼んだ。
あなたはわたしのもの。 イザヤ43:1
※「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない」という御言葉は、
神とクリスチャンとの間におけるあり方を教えていて、クリスチャンでない人にキリスト教以外の神々は邪道であると主張したり、他の人の信仰を否定することは避けねばならない。