a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

悲しみの持って行き所

今年も年賀状が沢山届いた。

自分は出すのが面倒なくせに貰うのは嬉しい。

可愛い素敵なデザインの年賀状に、添え書きに優しい言葉があるのも嬉しい。

夫の友人からも亡き友達の未亡人(私のこと)に下さる優しさが嬉しい。

彼らは91歳でも自分の手で宛名を書いてくださっているのは感激する。

今年も元気で生きていて下さると分かって良かった。

 

ところで私は喪中なので年賀状を出さなかった。

C子姉ちゃんが亡くなって、コロナの故にお別れが出来なかったこと。

葬儀で妹たちが顔を揃えて肩を抱き合い涙にくれて、悲しさを分かち合う・・・この一連のお別れの儀式が無かった。

これは大きい。

悲しみを引き摺っている。

C子姉ちゃんがまだ居るような気もするし。

 

兄が亡くなったときは、密葬だったけれど家族が多くて賑やかに(?)送ることが出来た。

このときの葬儀では、私は悲しくて涙が溢れて止まらなかった。

でもいつまでもぐじぐじ悲しみを引きずることなく、実家は姪や甥が後を守っていてくれて安心して納得している。

 

そんなわけで「喪中につき」と年末に出そうかとも思ったけれど、年賀状が途絶えるのは寂しいし(歳を取ると、長年のお付き合いが終わることが多い)寒中見舞いを出すことにした。

今、印刷にかかっている所・・・私に年賀状を下さった人たち欠礼してごめんなさい。

楽しみに待っていてくださいよ。

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石蕗の綿毛