花びらが散ってプチプチと小さな実がつている
朝から雨が降った。
勝手口へ庭の草や落ち葉や枝を集めた大きな袋を5個捨てた。
ゴミ収集車が持って行ってくれた。
今月もよく働きました。
先週は暑いのに連日出かけたが、その割に元気である。
今日が涼しいからかも知れないが。
体の筋肉が少しづつ元に戻って来たのかも。
月曜日の午後は忙しい。
昨日見ないで寝てしまったNHKの大河ドラマ「鎌倉殿の18人」。
今日の「徹子の部屋」。
ドラマでは途中で船を漕いでしまった〜(お船の場面はないのに)
今の録画器械は2週間遡って見られるので便利なのだ。
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ヨナ書(4) 不愉快なヨナ
聖書 ヨナ書4:1-5
1、問題1 的外れの不愉快
なぜヨナは不愉快になったか?
その理由は、神が憐れみ深いことが不愉快だというのである。2
ニネベのの首都であるアッシリア帝国は、近い将来イスラエルの国を攻撃してくる国。
それを思うと敵の人々に神が憐れみをかけることは不愉快だという理由である。
例えば私たちも敵視している人物が神の恵みを受け祝福される時、不愉快な感情が湧いてくるのではないだろうか。
聖書に同じ様な例がある。
「放蕩息子」の兄の態度である。
普通の関係なら「良かった」と思えても敵視している人物の祝福は受け入れたくないのである、
これは狭い心である。
いかなる人物も悔い改める時、祝福されるべきだから。
2、問題2 見極めるべきものを間違う
都の中で何が起こるか見極めようと・・・5
一体ヨナは何を見極めようとしているのか?
彼の見極めたい事は、ニネベの人が悔い改めた麗しい姿ではない。
神が再度態度を変えてニネベに裁きが下ること。
これは間違った見方である。
目の付け所が違うと、本当に喜ぶべきことを素直に喜べなくて、怒りや苛立ちになる。
3、問題3 思わせぶりな態度
主よ。私の命を救ってください・・・生きているより死んだ方がましです。3
ヨナは本当に死ぬ気だったのではない。
唐胡麻を与えられて、非常に喜んである。4:6
死ぬ気はないのに死んだ方がましだと神に訴える。
それは思わせぶり。
思わせぶりというのは「反対の表現の甘え」である。
相手が気づかないと「察しが悪い、思いやりがない」責める。
思いやりと察しは必要だが、相手に要求してはならない。
この思わせぶりの根の問題は→自己憐憫である。
私って可哀想!と神の恵みと愛を忘れて人に求めてやまない性質なのだ。
素直に神の愛に生きたい。
2019年 唐胡麻について学んだ。