教会の側の公園。
緑の樹と紫陽花が素敵。
インターネットじゃなくて、礼拝堂で牧師先生のメッセージを聞くと頭にスーッと入って来る。
今日はヨハネの福音書1:43−51から、イエス様の12弟子の一人ナタナエルの話だった。
私はこのナタナエルが好き。
名前が難しく覚えにくかったが、ナタ・・ナタ・・なた豆、いや違う、ナタナエル。
でしっかり覚えてしまって頭から去らなくなった。
ナタナエルは地味な存在で、他の福音書ではバルトロマイと呼ばれて書かれている。
バルトロマイというのはトロマイという人のバル「息子」という意味で、親に歓迎されていない産まれ方をしたと考えられる。
イエス様はそんな彼に「神の賜物」という意味のナタナエルという名前で呼ばれた。
新しい名前は彼に存在価値を与えたのだ。
その上、イエス様は出会う前からナタナエルのことを知っておられた。
「ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです」
とおっしゃった。
いちじくの木の下で日中人に隠れて密かに祈っている姿を見られていた!
ナタナエルは生きて行く自信を取り戻したのであった。
12弟子の一人として、ナタナエルの最後は皮を剥がれて尊い殉教の死を遂げた。
いちじくのこと。
いちじくは無花果と書いて花が咲かないとされている。
でもいちじくの実を割ると赤い粒々がいっぱい付いている。
それが花なのだ。
厚い皮の中でひっそりと咲くのがいちじく。
これみよがしに派手に咲く花とは違って、地味な花を咲かす、ナタナエルのような花なのだ。