a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

怖かった台風

今日も暑いね〜くるみちゃん。

 

風が吹いている。

今日は台風11号が日本海を北上中。

 

今まで生きて来て一番怖かった台風は第2室戸台風だ。

大型台風が室戸岬に上陸して大阪を直撃した。

1961年9月、私は公団住宅の1階に住んでいた。

 

台風が来るぞとニュースで聞いた午後、外に出ると、近所に住む夫の学生時代の友人に会った。

彼は新聞社に勤めていて、今から出勤だという。

何かある時、新聞社に勤めてるって大変だな、と奥様が気の毒に思った。

 

何故外へ出たのか思い出した。

公衆電話で会社にいる夫に電話をしたのだった。

早く帰って欲しかったから。

まだ家に電話が無かったし。

スマホなんて影も形もなかった昔なのだ。

 

彼は「今から天下茶屋(義叔母の家)へ行くからもしかしたら今夜は帰られへんかも知れへん。気いつけや」

と言って切った。

・・・義叔母は一人暮らしだから心細かろうけど。

 

私も1歳に満たない赤ん坊と二人で心細いのやけど・・・。

でも天下茶屋に来いと言われて行かなかったら、後々困ることになるのを私は分かっていたから辛抱するしか無かった。

 

台風は夕方から吹き荒れ始めた。

一応鉄筋コンクリートの建物だけど、窓枠はまだアルミサッシではなく木の枠だった。

ガラス戸も木で出来ていた。

横降りの大雨が窓枠から部屋にジャボジャボ入ってくる。

バスタオルやら雑巾で水の侵入を防いだけど、部屋はびちゃびちゃになった。

おまけに停電になった。

蝋燭の灯りは不安を一層募らせる。

 

夜中近く風が少し治った頃に3階に住むHさんのご主人が心配して見に来てくれた。

「ええっ!ご主人帰ったはれへんのんか〜そら怖かったやろ」

ホッとして嬉しかったなあ。

お隣のAさんの奥さんも「大丈夫?」と見に来てくれた。

ご近所は年配の人が多かったから心丈夫だった。

 

大嵐の一夜があけてお昼前にようやく夫が帰って来た。

電車は動いていたかどうか忘れたけれど、多分タクシーで帰って来たと思う。

 

畳をベランダに出して干したり、

水道が出なくなったので少し離れた所にある高校までバケツを持って水を汲みに行った。

給水車なんて来なかったし、

おしめを洗わなくてはならないから水は要る。

炊飯器はまだ無かったから、ご飯はガスで炊くことは出来た。

 

小さい娘と二人の、あんな不安な夜は無かった。