アレチヌスビトハギ
今日から10月だと言うのに、雨が降って蒸し暑い。
体がしんどいと言っているので、教会を欠席してリモート礼拝にした。
今日の説教はヨブ記19:21−26から。
可哀想なヨブ。
ヨブは大変な試練にあっている。にも関わらず3人の友人は彼を詰る。
友人から糾弾されて打ちひしがれているヨブ。
しかし、ここに来て不思議なことが起こった。
失望の底から希望が見えた。
私は知っている。
私を贖う方は 生きておられ、
ついには、土のチリの上に立たれることを。25節
と、希望の言葉を語り始めた。
購主(あがないぬし)とはヘブル語で「ゴエル」=救い出してくださる方のこと。
私の好きな旧約聖書に有る「ルツ記」では、貧しいナオミと死んだ息子の嫁のルツを守り救い出してくれたのがボアズ(ゴエル)だ。
落ち穂拾いのミレーの絵で知られる話だけど、ボアズは後にルツと結婚し、子孫にイエスキリストが産まれた。マタイ1:1−17
購主とは自分のそばにいて自分を守り救い出してくれる存在であり、ヨブはその「購主」を見つけたのだ。
私の皮がこのように剥ぎ取られた後に、私は私の肉から神を見る。26節
死後の復活の希望のことを言っている。
新約聖書ではキリストの復活で明らかな希望が語られているが、旧約聖書ではまだ朧げにしか無かった。
しかし病に苦しむヨブに、神は個人的に復活の希望を示された。
決して病のまま終わらない。
病から解放されて勝利さえする永遠の命の希望を示されたのだ。
ヨブさん、よかったね。