白い南天。艶々してる。
午後、お天気が良いので庭掃除をした。
そこへ下水掃除のおじさんが来た。
一年に2度来てもらっているが、今年はえらい早いこと来たなあ。
今年は暑さがひどく、下水枡はまだゴキブリの棲家になっているらしい。
「奥さんはお元気ですな〜、よその奥さんでこの夏で弱りはったお方多いでっせ」
と言っている。
私もかなり弱ってしまったけれど、まだ庭の草むしりや落ち葉掃きは充分できる。
「来年6月にまた寄せてもらいます、元気でいて下さいや〜」
如才のないおじさんや。
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新約聖書のヒロインたち(5)ナインの町のやもめ
ナインという町に深い悲しみに打ちひしがれた女性がいた。
キリストがその人に示された愛の御業。
また、神の御業がどのような事で起こるのか教えてくれる箇所である。
(金剛バプテスト教会婦人聖書の集いより)
聖書 ルカ:11−17
愛する二人に先立たれる悲しみ
やもめの一人息子が死んだ。12
先に夫を失っていた上に一人息子「若者」を失う。14
一人になった寂しさ、心細さ、失意・・・。
主イエスの深い共感
主はその母親を見て深く憐れみ、 13
この「憐れみ」は「腸が揺り動かされるような同情心」のこと。
主イエスの力
「泣かなくても良い。」と言われた。 13
そして近寄って棺に触れられると、
担いでいた人たちは立ち止まった。
イエスは言われた。
「若者よ、あなたに言う。起きなさい。14
この名も記されてないやもめの一人息子を甦らせた奇跡が聖書に記されている理由は、
死人が蘇るという驚くべき奇跡の故ではなく、この奇跡を生み出した理由が特別だからである。
彼女が信仰の告白をしたからでもない。
主に願ったからでもない。
ただ、主イエスの憐れみが奇跡を生み出した。
※私たちは信仰が小さいことを嘆き、それゆえ神の御業が起こらないのだ、と思うことがある。
しかし嘆くことはない。
主の憐れみがことを動かすことを聖書ははっきりと語っている。
主は言われます。
苦しむ人が踏みにじまれ 貧しい人が嘆くから
今 わたしは立ち上がる。
わたしは彼を その求める救いに入れよう。 詩篇12:5