a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

うちの猫

少し暖かくて庭の掃除をする。

猫のクルミは庭には連れてもらえないで、家の中でじっと眺めている。

家に入ると「もうお掃除済んだの?」

 

ちょっと良い服(分かるの?)を着たら長く帰らないだろう。

バックを下げて毛糸の帽子・・・これはスーパーへ行くのね。

パジャマに着替えるとベッドで寝るのだ。

 

私の着る物で出かける場所を把握する。

よそ行きの服は嫌い。

子猫の時はベッドに出かける服を広げて用意していたら、ドッカと座り込んでシワクチャにしてくれたものだ。

私も学習してハンガーにかけて吊り下げておくことに変更した。

 

今日は庭に行くから知らん顔。

帰ってきても「もう済んだの?」

 

14歳にもなると私の言葉は全てわかって(私はクルミの言葉は分からない)、

クルミちゃんお腹すいたの?」

「ふう〜ん」

クルミちゃん眠たいのん?」

「ふにゃ〜」

 

朝目が覚めて隣に寝てる猫に手を伸ばして「おはよう」と言ったら、手を伸ばして来てタッチする。

目が覚めても私が寝ている間はじっと寝ている健気な猫なのだ。

遅まきながら

 

暖かくて歩いて駅まで行ったらうっすら汗をかいた。

午後はケアマネージャーさんとヘルパーさんが来てくれた。

新年の挨拶を交わす。

 

私は元気に家事を何とかこなしているけれど、1週間に一度お手洗いとお風呂の掃除をしてもらうのはやっぱり助かる。

居間や台所を掃除したら、寝室やお手洗いの掃除はしんどくなってくるから。

お風呂も入って自分の体を洗うのが精一杯で掃除まで出来ない。

それが隅々まで綺麗になって、鏡なんかは毎週ピカピカになっている。

今までは飛沫で汚れていても、拭いて磨く時間も体力も残っていない。

 

朝夕鏡に向かって歯を磨いたり化粧をする時、どんなに気持ちが良いか。

 

ケアマネージャーさんはめちゃくちゃ明るい人で、紅白歌合戦の話で笑わせてくれた。

私は年末テレビを見なかったので、夕方巻き戻しの機能と早送りで紅白歌合戦を見ることにした。

ケアマネさんの言った通り面白かった。

若い人の話も聞くことも大事なのだ。

 

家の中は埃だらけ

昨年亡くなったC子姉ちゃんにずっと昔にもらった小さい熊ちゃん3匹。

大きな子はアメリコロラド州で買ったもの。

 

 

この頃 時間の経つのが早い。

一昨日 妹も電話で「気がついたらもう寝る時間になっている」と言った。

動作が遅いので、今日はあれとこれをしようと計画していても三分の一は時間切れで次になる。

年末の掃除は半分も出来ず、埃だらけのまま年を越したのだった。

 

日曜日に客が来る。

若いお嬢さんも初めて来てくれる。

嬉しい٩( ᐛ )و

若い娘は目が良い。

 

ちょっと今日は掃除をしときましょう・・・と眼鏡を掛けてよく見ると、物凄い埃だ。

それも猫の毛がもわ〜っと降り積もっている。

良くもまあ!

写真のベアたちは頭や肩に猫のふわふわの毛が積もっていた(๑>◡<๑)

 

コロコロと筆と雑巾で取り除く。

置き場所も移動。

気のせいかこの子達もホッとしている様子だ。

目が見えないことを良いことに掃除をサボっていたが、もう少しで恐ろしいベアたちを見せる所だった。

ギレルモ・デル・トロのピノッキオ

Netflixで観た「ギレルモ・デル・トロピノッキオ」。

 

原作はカルロ・コッロディのお馴染みの「ピノッキオの冒険」。

ゼペット爺さんが作った木の操り人形が動き出すという有名な童話。

 

新しい「ピノッキオ」はメキシコ人のギレルモ・デル・トロが作り出したストップモーションアニメーション・ミュージカル映画

 

時代は第一次大戦の頃になっていて場所はイタリア。

ゼペットは大事な一人息子を爆撃で死なせてお墓の前で嘆く日々であった。

 

美しい松笠を土に埋めたら年月が経って立派な木になった。

その松の木で操り人形を作ったら動き出した。

我が子のように可愛がったのだが、いたずらっ子で困り果てる。

教科書も与えて学校に行かせようとしたが、誘惑に負けて遊びに行く。

 

ピノッキオが悪い事をすると鼻が伸びて行く。

長くなるだけではなくて枝になる。

ガリガリの手足に丸い大きな頭。なんとも愛くるしい。

 

登場するのはお馴染みのコオロギのクリケット

悪い伯爵と手下の猿。

少し不気味だけど美しい精霊、などの個性的な登場人物が描かれている。

 

ピノッキオの冒険の旅では軍隊にも行かされて扱きにも会う。

海に投げ込まれて旧約聖書のヨナのように大きな魚に飲み込まれたり・・・ここは迫力ある映像に圧倒される。

苦難を乗り越えてゼペット爺さんの本当の息子になるという素敵な映画だった。

 

ファンタジー映画は何歳になっても好きなのだ。

 

 

 

 

お正月の床の間

我が家の質素な床の間。

元気な頃は若松を宣徳薄端に活けて、これぞお正月!だったけれど。

お茶の先生をしている友人が年末に活けに来てくれた。

活け上がった若松に金銀水引をギュッと結んで出来上がり。

その後夫と遊びに来たNさんと4人で忘年会をして盛り上がったのだった。

毎年の行事だった。

 

今はシンプル。

 

蓬莱山の掛け軸にはよく見ると小さな鶴が二羽飛んでいて、波打ち際に二匹の亀がいる。

日の出に鶴亀・・・日本の伝統のめでたさを表現している。

我が家の先祖はこの軸の前でお節を食べてお酒に酔っ払っていたのだろう。

もしくは結婚披露宴も有ったと思う。

「尉と姥(白髪で腰の曲がった二人の老人)」の軸と「蓬莱山」は対になっていて結納とか結婚式に使っていたらしい。

 

現在の我が家のお正月は誰もこの前で飲み食いをしない。

どころか誰も入らない、普段から開かずの間なのだ。

 

陶器の兎も寒そうに丸まっているが、よく見ると「兎と亀」の取り合わせ。

お伽話の仲間が居る。

しかし兎は亀に負けたのだ。

うさぎさん、要らん事を思いついてごめん!

だから蹲っていじけているの?

 

床の間の前に座って想いに浸る暇な私のお正月。

お正月にしたこと

ドールハウスドールと陶器の兎

 

今日したこと。

お正月だから人形遊びをした。

別にお正月だからでなくても平素から人形遊びはしているけれどね。

 

年賀状の返事を数枚書く。これが面倒くさい。

来年から年賀状をやめます・・・と書いてあるとホッとする。

書いたけれどポストまで行くのは面倒になって明日投函することにする。

 

久しぶりにズンバをやった。

忘れずに体が動いたのでホッとする。

 

中学校のクラスメイト26人が参加しているLINEグループがあるが、元旦から理屈っぽい話題が連なってうんざりする。

年老いても理屈を捏ねるのが好きな人たち。

そこへI君が家族への連絡を間違って送って来た。

「新年早々間違って送ってしまってすみません」

と謝りのライン。

それによると奥様が年末から入院していて、病院へ向かうタクシーの中から送ったようだ。

高齢になった夫婦の年末年始の入院騒ぎ、さぞ大変だろうと同情する。

理屈では解決しない愛情溢れる人間的なラインの内容に胸が熱くなった。

奥様が良くなられるように祈る。

 

さて、今夜夕飯は何を食べよう。

お正月だからと日本酒を飲んでも酔わなくなってしまった。

いつもワインですぐ酔うのだけれど。

これも年のせい?

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。

 

ついに大晦日紅白歌合戦は見ないで終わってしまった。

知らない人や歌ばかりだし、目が回りそうになる。

 

代わりに「第九」を聴いた。

井上道義さんの指揮なかなか素敵だった。

多くの指揮者で何度も「第九」をステージで歌って来たけど、もうその機会は無くなった。

こうして炬燵に入って聴くのも中々良いものである。

ステージに立って第3楽章を聴いている時の緊張感を思い出す。

ベートーヴェンはやはり素晴らしい。

 

明けて新年の今朝は素晴らしい良い天気。

元旦礼拝はリモートで、猫の迫害を受けながら・・・٩( ᐛ )و

 

今年もよろしくお願いします。