a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

祖母の思い出

昼前から雨になった。
急いで洗濯物を入れる。テレビの前の籐椅子に座ってチクチクとキルトの針を動かす。
針を使うと言う行為は考え事をするのにすごく良い。
素晴らしいアイデアが浮かんだりもする。
今日は祖母のことを思い出した。
彼女は私が産まれた時に既に72才になっていたから、記憶に残る彼女は背中の曲がったすごい年寄りだった。
元治元年(西暦1864年)生まれだ。
確か文盲だったと思う。
祖母の昔話によると14才で旧家に嫁ぎ、余りの窮屈さに耐えかねて飛び出して来たのだ。
昔の女性としては珍しい超ワガママ、自由人だったようだ。
婚家を飛び出さなかったら旧家の奥様として安楽に暮らせたろうに、実家に戻ってもさぞ居心地が悪かっただろう。祖父と出会うまでは苦労したようだ。
生家は地主だったし甥たちは歯医者や事業家で成功していたから、彼女が字を書けないのは単に勉強が嫌いで、当時の寺子屋なんて行きたく無いと言ったのかも知れない。
老後は優しい娘婿(私の父)の家に引き取られ孫のお守をしながら暮していたようだった。
離れ、と呼んでいた部屋で一日の大半を過ごし、針仕事をしていた。
私は寝る前に針山にさしてある針50本に次の日に使う糸を通すお手伝いをしていた。
針はきっちり50本なくてはならない。一本でも足らないと大騒ぎで探す。「針を落としてだれぞの足に刺さったらえらいこっちゃろ?」と一本の針も大切にすることを教えてくれた。
学校に提出するお雑巾やおじゃみ(お手玉のこと)もすぐ作ってくれた。箪笥の引き出しには古い布がぎっしりしまってあったのだ。
まるで今の私にそっくりだ。
いつも家に居たから、誰も居ない時でも「ただいま」と学校から帰ると「お帰り」と迎えてくれた。
戦争中に空襲警報が出て、夜中に防空頭巾をかぶり家中防空壕に避難するとき「わてはお仏壇の前にいます。ここで死にますよって放っといとくなはれ」と頑固に動かず、私は心配で堪らなかった。
自分の意志を頑固に通すわがままな祖母だった。