a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

転宅に寄るカルチャーショック

昨日のcheshirenekoちゃんのブログに、郊外に引っ越して入った学校でのカルチャーショックの面白いエピソードが書いてあったので、私も思い出した。大昔のこと・・・。
昭和16年春、日本が無謀な戦を始める寸前に、父は市中に住むのはヤバいと思って、郊外に家を建てた。家ぐるみ田舎に疎開したのだった。
200坪の広い敷地に平屋の家が出来て、皆大喜びしたのだ。
私は4才。姉2人は、地元の小学校に転校した。
cheshirenekoちゃんのお母さんは2年生、2番目の姉は5年生。
今と違って情報が無いから、田舎の子は生活習慣から着るものやしゃべる言葉も全て大阪市内の子とは違った。
裕福な家のお嬢さんでも田舎の子は田舎の子。我が家はエエシじゃ無いけれど都会の子。全然違うから転校生を受け入れる方もびっくりして、はねのけようとしたに違いが無い。
2年生の姉は、歌も図画も上手、スポーツ得意、勉強もばっちりで、有無を言わさぬ実力でクラスメイトからのいじめをはね除けたけれど、上の姉はちょっと可愛い顔をしていた上にツンと気取っているししゃれた服を着ているから、目をつけられてかなり虐められたようだった。
家の近所数軒は普通の家だったが後は農家。家の裏は田んぼが広がっていてレンゲソウの花が一杯咲いている。
小川でメダカを取ったり花を摘んだり、外の遊び場も広かった。
その代わり大きな危険も有った。田んぼの畦のあちこちに野壷(ドツボと言っていた肥溜め)や野井戸が有って囲いなんか無く、回りは草が生えていて良く解らない。うっかりハマったら悲劇だ。
母が「気いつけなさいや。」とうるさく注意していたが、子供はすぐどこに有るか覚えて、ハマったりなんかしなかったけれど、今ならPTAなんかが、“危険注意”とか立て札をしたり囲いをするだろう。
のびのびと田舎の暮らしを楽しんだのだったけれど、近くの学校は学力もかなり低いし、憂慮した母は、私の入学までには何とかしないといかんと、電車に乗って行く幼稚園へ通うことを決めた。
ここから私の苦難の時代が始まるのだが、この頃は赤ん坊の妹相手に広い庭でのんびりママゴトなんかしていたのである。明日につづく。