a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

悲しみを乗り越えて

悲しさや辛さは実際に経験しないと解らない。想像は出来ても本人でないと本当の悲しみの深さは解らないと思う。
私が胎児を失った悲しみは中々消えなかったけれど、人生観が変わる程得るものも多かった。
悲しみの淵に沈んでいるときに、理解してくれた夫や、また手を差し伸べて助けてくれた姉や両親の愛の大きさ。
今まで気が付かなかった人の優しさを充分感じ取ることが出来た。
それとは反対に、世間の目のむごさみたいなものも沢山体験した。
入院中に、歩行器を使って病室を出てお手洗いに入ろうとして、ふと異様な視線を感じた。
お手洗いの前は産婦人科の大部屋で、お産で入院している女性が数人私を覗き見していた。「ほら、みてみ、あの人や」。多分足の悪い人が入院していると噂が立っていたのだろうか。好意的な優しい眼差しでは無かった。私がふりむくと一斉に顔がひっこんだ。
また有るとき廊下を歩いていると後ろで話し声がする。「若いのに気の毒にな」。どうして歩くのもおぼつかない女が婦人病棟に居るの?という雰囲気。今は障害が有っても世間が幾らかは理解しているが40年前は違った。あのとき障害を持つ人の気持ちが少しだけ理解できた気がした。
それはさておき、私が長く入院している間に娘は変わった。甘ったれでは無くなってしまっていた。
寝る前の戸締まりや火の元の確認を娘がやっていた。脱いだ衣類はきちんと畳んである。食事も好き嫌いが無くなっていた。びっくりする程成長した娘が居た。
私も将来一人っ子であることを、得したな、と思えるように成長して欲しいと考える様にした。
娘が何でも自分で決めて、さっさと行動に移す様になったのはこの頃からである。