a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

『海嶺』を読む

三浦綾子の小説『海嶺』を読んだ。1832年(天保3年)、愛知県小野浦の千石船宝順丸は米を積んで江戸に向ったが、遠州灘で嵐に逢い、そのまま漂流した。1年2ヶ月という長い時を経て、漂着したのはアメリカ大陸だった。出発した時は14人居た乗組員は次々死亡して、音吉、久吉、岩松3人だけが辛うじて生き残った。
漂着したものの、そこではインデアンの奴隷として過酷な扱いを受けた。やがて救い出されフォートバンクーバーからイギリス海軍の船で日本へ送り返して貰えることになる。

3人は全てが日本との余りの違いに驚くが、日本では貧しい船乗りとして虐げられた生活をしていたが、太平洋を漂流して生き残った英雄として大切に扱われ、豊かな文化に触れ僅かな期間で英語も使える様になる。
彼らが一番心を痛めたのは信仰だった。
日本はキリシタンは御法度である。毎日曜日の礼拝に参加するだけでも、帰国してお上に知れたら・・・と恐怖でおののく。

ロンドンで商船に乗り換えた3人はマカオに着く。
マカオではドイツ人の牧師ギュツラフの家に滞在し日本へ帰る日を待つ。

船に乗っている間の描写が多いが、作者が女性とは思えない骨太の航海描写である。水主(かこ)たちの嵐に立ち向かう様や、舟底に溜まる水(アカ)を掻き出したり、次第に備蓄の水が足らなくなって雨を待ち続ける過酷な日々。『白鯨』を彷彿させる迫力である。

あとがきに作者が書いているが、江戸時代における漂流は、幕府の鎖国政治が作り出した人災と云える。鎖国の禁を厳しくする余り、造船の技術が優れているのに、あえて遠洋航行に耐える船を造らなかったから、一度波に遭って大海に流れ出ると帰ることは難しいのである。

マカオで望郷の念に涙しながら、彼らがしたことは、何と始めての聖書の和訳であった。ギュツラフを助けてヨハネ福音書を訳したのであった。
「In the beginning was the word.」
「ヨハンネスタヨリ ヨロコビ
 ハジマリニ カシコイモノ ゴザル。・・・」

海嶺〈上〉 (角川文庫)海嶺〈中〉 (角川文庫)海嶺〈下〉 (角川文庫)