a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

安らぎのある生活(15)

ようやく12月の大切な行事が全て終わった。

今日から年賀状を書き終えたらこの一年の後始末をする。

広告ばかりだけれど溜まっている「かもめーる」の番号が当たっていないか?調べる。

・・・当たってなかった・・・(時間の無駄使い)

ダンボールを縛ったり、掃除機の埃を捨てたり、次々に用事が見つかって際限がない。

新年会の出欠の返事を出していないのが出て来たりして、慌てて郵便ポストまで行かねばならないし。

チコちゃんじゃないけどボ〜ッとしてられないのだ。

 

    *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

安らぎのある生活(15)

金剛バプテストキリスト教会婦人聖書の集いより

 

キリストは「平和の福音」でさまざまな「隔ての壁」を打ち破って下さった。

 

エペソ2:11-22

 キリストこそ私たちの平和であり、

 ふたつのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、

 ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。14、15

 

私たちには様々な「隔ての壁」が存在する。

キリストこそ隔ての壁の解放者である。

 

1、神と人との隔ての壁 

 そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、

 約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、

 神もない人たちでした。12

この隔ての壁は罪ある人間には誰も打ち破れない。

ただ十字架に架かられ、罪の裁きを身代わりに受け、救いの道を開かれたキリストだけが可能なのである。

「キリストこそ私たちの平和」である。

 

2、人と人との隔ての壁   11、12

今日も人種、宗教、政治的な「隔ての壁」が存在する。

人の顔が違うように当然なことだが、違いがあるからと言って自分の優位性を主張し、他を排除することは避けねばならない。

それが根本的に悪である以外は他を受容する寛容さが求められるのである。

 キリストの血によって近い者とされた。13

とあるように、人と人との平和にも、自分はキリストの身代わりで血を流して頂かなければならない程の罪人でしかないのだという認識が必要である。

 

3、自分の中にある隔ての壁

 自分の肉において敵意を廃棄された方です。

 敵意とは様々な規定から成り立っている戒めの律法なのです。15

自分の中に「規定」を作り、そのために自由がなくがんじがらめの自分に捉われているいる時がある。

 自分の心で自分を窮屈にしている。2コリント6:12

とあるのはこのことを語っている。

自分の作った「規定」から解放されるために必要なことは、

①マリヤの姉マルタの様に自分の思い煩いの原因が、第一にすべきことを忘れ、二次的なことに心奪われていないか吟味すること。ルカ10:41、42

②自分をあるがままに愛してくださる神の愛を受け入れること。イザヤ43:4