a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

聖書の植物(16)ー「四つの土に落ちた種」

暖かい雨の日。

家で引き出しの整理整頓をする。

今月中に納めないといけない税金の納付書が見つかった(⌒-⌒; )

 

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ミレー 種まく人

 

聖書の植物(16)ー「四つの土に落ちた種」

金剛バプテストキリスト教会 婦人聖書の集い 中西牧師のメッセージより

 

キリストが教えられた「種まきの譬え話」は、ミレーの絵に「種まく人」として描かれている。

4種類の土に蒔かれた種の話は現実を映し出して興味深い。

4つの土は人間の心であり、種は神の御言葉である。

 

聖書 マタイ13:3-9

 

1、道端に落ちた種

 蒔いているとき、道端に落ちた種があった。

 すると鳥が来て食べてしまった。

鳥が来て食べてしまった、とあるがこの意味が19節に教えられている。

 

 御国のことばを聞いても悟らないと、

 悪い者が来て、その人の心にまかれたものを奪っていきます。

 道端に蒔かれるとは、このような人のことです。19

御言葉を聞く機会は、教会は勿論のこと、本やテレビ、ラジオ、その他インターネットでも多く与えられている。

しかし実らないのは「悟らない」からであると教えられている。

つまり、関心がないので素通りしてしまうのである。

 

2、土の薄い岩地に落ちた種

 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。

 土が深くなかったので、すぐに芽を出した。

 しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。

 

 岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、

 すぐに喜んで受け入れる人のことです。20

 しかし、自分のうちに根がないため、

 しばらくの間そうするだけで、

 みことばのために迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。21

信仰が御言葉を土台とせず、楽しいイベントや人の心地よい言葉や態度に依存しているために試練に躓いてしまう。

 

3、いばらに落ちた種

 また、別の種はいばらの中に落ちたが、

 いばらが伸びて、ふさいでしまった。

 

 いばらの中に蒔かれるとは、

 みことばを聞くが、

 この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、

 実を結ばない人のことです。22

信仰を持ちたいと思っても家族や世間がどう思うか、また洗礼を受ければ様々なことで(教会出席、奉仕や献金)圧迫されるのではなどと悩むのである。

この人たちが見落としているのは、キリストによる救いと喜びと特権「かくも罪深い私のために命を捨てる程の愛を示してくださったキリストに対する感謝」という思いが希薄なのである。

 

4、良い地に落ちた種

 別の種は良い地に落ちて、

 あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。

 

 良い地に蒔かれるとは、

 みことばを聞いてそれを悟る人のことで、

 その人はほんとうに実を結び、

 あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。23

「悟る」とは受け入れ、従うことである。

 

 正しい、良い心でみことばを聞くと、

 それをしっかり守り、

 よく耐えて、実を結ばせるのです。ルカ8:15

正しい良い心という心の有り様を教え、忍耐することの重要性を教えている。