a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

モーセ(14)  食べ物規定

朝から激しく雨が降った。

九州ではかなりの雨量で河の水が濁流となって流れている。

しばらくは大雨が続きそうで油断はできない。

 

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モーセ14  食べ物規定

金剛バプテストキリスト教会婦人聖書の学びより

 

モーセの時代に十戒と共に様々な生活規定が定められた。

その中で、ユダヤ教徒たちはレビ記にある食べ物規定を今も厳格に守っている。

 

聖書 レビ記11:1-23

 

食べ物規定で、日本人が珍味とみなすものは大抵禁じられている。

なぜそんな規定が当時あったのだろう。

その意義は何だろう。

 

1、衛生面

豚が禁じられている。

牛の刺身はあるが豚の刺身は現代でもない。それは豚が反芻せず雑菌を多く含んでいるからだ。

魚は鱗のあるものは食料にするが鱗のないもの(蟹や貝)は海底に沈着したものを食するので、現代でも食あたりが多い。

古代なら更に危険であった。

これらの教えは食に気遣う神の配慮である。

 

2、民族の同族意識

カナンという土地は、ヨーロッパ、アジア、アフリカの交通要路で絶えず同化される危険性があった。

食べ物規定は、自分たちが独特な食べ物規定を持つ神の選民としての自覚をもたらす。

後代になると、他民族を見下す選民意識となった。

 

3、宗教的妥協の危険性

海に囲まれている日本では想像し難いが、陸続きのパレスチナは絶えず他民族による偶像礼拝の影響を受ける危険性があった。

そのきっかけになったのが多神教の祭りに招かれての食事だった。

食事が多神教への入り口になっていたのである。

聖書に禁じられている食べ物は、異民族との交わりを避け、他宗教への傾倒に走らせないために必要な規定だったのである。

 

4、食事規制撤廃

ペテロが観た幻 使徒10:9-16 の中で「レビ記に記されている禁じられた食べ物を食べよ」と主が語られ、

ペテロが断ると「神が清めたものを清くないと言ってはならない」と戒められる。

この意味は、福音の到来は民族的差別を撤廃するものである事を意味した。

 

※キリストの福音が実現される前の時代と後の時代とでは、御言葉の教えが撤廃されるものと撤廃されない普通の真理があるのが分かる。

それは旧約聖書が間違っているということではない。

救い主による福音が実現されるまでの必要な定めであったのであり、キリストによる救いの完成によって一層その恵みが理解できるのである。

 キリストこそ私たちの平和であり、

 二つのものを一つにし、

 隔ての壁を打ち壊し、

 ご自分の肉において、

 敵意を廃棄された方です。

 敵意とは、

 さまざまの規定から成り立っている戒めの法律です。

 このことは、

 二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、

 平和を実現するためであり、

 また、両者を一つのからだとして、

 十字架によって神と和解させるためなのです。

 敵意は十字架によって葬り去られました。  エペソ2:14-16