a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

懐かしい人

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昨年10月、骨を折る寸前に植えた水仙の球根が次々咲いている。

あゝこの頃に巻き戻せたら・・・痛い思いをせずに済んだのに。

 

でも新型ウィルスの最中である事には違いなく。

まあしょうがないか。

 

近頃は暇で昼食後「徹子の部屋」を観る。

老醜はどんな美しい人でもなるのだな、と思う。

美しさの頂点に居た女優さんは最後まで美しくいて欲しい、と思うのはわがままだろうか。

奥歯を抜いて滑舌が悪くなった話なんかは内輪だけでしてよね。

聞きたくない。

その点、徹子さんは醜い自分を曝け出したりしないし、楽しいことしか言わない。

 

一昨日に思い出したY口のおばちゃんは、あの頃60代後半だったと思うが、初めからお婆ちゃんだったから、ずっと同じで変わらなかった。

あの後、お正月には松の内に必ず遊びに来てくれた。

気楽で楽しい性格だったから、おばちゃんが来て噂話や昔話を聞くのは面白かったし、一緒にすき焼きを突っついてお酒を飲んで、トランプや花札をして遊んで泊まっていった。

一度、花札をして上にぎりのお寿司を賭けたことが有った。

おばちゃんが言い出したのだ。

夫も私もおばちゃんを勝たしてあげようと思っていたのに、おばちゃんが負けてしまった。

次の日はお昼にすし桶を持った出前が来たのだった。

 

「映画3本いっぺんに見たらあきまへんわ・・目に星が入りましてんで〜」

映画館の梯子をする様な人だった。

あの頃にしては年寄り離れした面白い女性だった。

 

おばちゃんは若い頃は気楽に暮らしていたのに、パイロットだった夫が病死、また一人娘を事故で亡くして、絶望の日々を過ごしていた。

どうしたら良いのやらと、よく当たるという八卦見を訪れた。

待合室で新聞を見ていたら、求人広告が目に入った。

「寮母求む」

何か惹かれるものを感じて八卦を見限って、訪問したのが私の父の会社だった。

父が優しく受け入れてくれたので、その日から住み込みで働いて、地方から来ている若い店員の面倒を見る日々が始まったのだった。

若い男性たちは、おばちゃんのさっぱりした性格にぴったり合って、長く若い彼等の胃袋を満足させ、様々な相談事にも乗ってきたのだった。

 

晩年はアパートの管理と仕立て物をして90歳以上の年月を元気にしていた。

最晩年におばちゃんの住まいを娘と訪問したことがある。

一緒に持参したお弁当を食べてしゃべった。

 

いろいろな人たちとの出会い、助けてくれた人達の優しさ。

良いことだけが思い出される。

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この頃、娘はまだティーンエイジャーだった。