Mさんから届いた写真 宮崎の御(みそぎ)池の睡蓮。
今日は同窓会コーラスが休みで(合唱祭が近づいているのに休みでええのん?)
私は買い物と庭掃除をする。
ゆとりの1日を過ごす。
朝日新聞の「B版」の「サザエさんを探して」で、東京の街角で電信柱に括り付けられた牛が登場した。
わかめちゃんが牛が反芻するのを見て「チューインガムを買って〜」となる。
今時は街中で牛なんか絶対見る事はないけれど、私の子供の頃は確かに身近に居た。
荷車を引っ張るのは牛だったし、
農家にとっても大切な労働力として飼われていた。
農家の友達の家に遊びに行くと、門を入ると広い庭があって右の方に牛小屋があって牛が寝そべっていた。
牛小屋は瓦葺屋根の立派なもので、大切に飼われていたのだ。
大阪市内から引っ越して来たのが4歳の時。
家の裏は広い田んぼで初めて見る田植えが珍しくて、妹と二人で作業をしゃがんでずっと見物した。
その時大活躍するのが牛。
耕運機を引っ張って泥田を引っ掻き回し平す仕事をする。
ガソリンが要らない貴重な働き手だった。
夜寝静まった頃、時々「もお〜」と鳴く牛の声も聞こえたけれど、家の周りは青田で植え付けられたばかりの早苗が一面に風にそよいでいた。
のんびりした懐かしい光景だ。
いつ頃から農家に牛が飼われなくなったのだろう。
もう一つ牛の思い出がある。
これは悲しい光景で、貨車に積まれて運ばれて来た牛の群れを偶然見た。
駅で下ろされて数珠繋ぎで街道を屠殺場へ連れられてゆく。
あの頃、ガソリンがなくて専用のトラックで運べなかったのだろうか。
牛肉になって・・・でもその頃は庶民の口には牛肉が入ることもなく、軍人さん用の食料になったのだ聞いた。
今朝の「B」には食料になる動物たちの虐待の記事も出ていた。
狭い箱で卵を産むだけの鶏。
狭い場所に身動きできない状態にする妊娠した母豚、など。
食料にするだけでも感謝しなくてはならないのに、動物を虐待するって悲しい。
こんな事実を知ると、ビーガンになる人の気持ちが理解できる。