今日も暑い。
私の住んでいる辺りは比較的涼しい方だけど、それでも外に出られない。
「冷房をつけて涼しくして過ごしなさい」と注意してくれるけれど、エアコンの電気代が高くついたら誰が払らってくれるのん?
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最後の仕事とは何だろうか。
それは誰にも残されている仕事で「死ぬ」と言うことである。
死は誰も予期できないものであるが、許されれば死をきちんと成し遂げて終わりたいものである。
ヤコブはこれをきちんと成し遂げた。
聖書 創世記49:28−33
1、家族を祝福する
彼らにそれぞれふさわしい祝福を与えたのであった。28
人生を終わるにあたり考えねばならないことは、家族との関係である。
日本では兎角信仰を持つと家族との関係が拗れることが多い。
しかしそのまま放置することは自分自身にとっても家族にとっても傷を残す。
ヤコブは「それぞれにふさわしい祝福を与えた」。
こうありたいものである。
2、墓地の問題
ヤコブはエジプトではなく先祖が葬られた墓地マクペラに自分を葬って欲しいと願う。29−31
ヤコブは後々の子孫に対する信仰の証を考えているのである。
これは大切な考えであって、人の死は残された家族や子孫に対する証も含まれるのである。
教会の墓地に
「私たちの国籍は天国にある」と刻まれている。
その墓地で家族や子孫が佇んでこれを読む時、先に生涯を終えた自分の証がされるのである。
その信仰によって今もなお語っています。 ヘブル11:4
3、神の民に加えられる死
ヤコブは・・・足を床の中に入れ、息絶えて、自分の民に加えられた。33
上記の死をヤコブ自信が言及する事はできない。
それを見たのは家族である。
その家族が「父はまことの民に加えられた」との思いに至ったのだろう。
静かに淡々と神の召されるのを待つヤコブの姿は家族に深い慰めと希望を与えた事であろう。誰も死を大胆に迎える強さはない。
だから死は不安をもたらすが、ただ一つ大きな励ましと慰めは、主イエスの方から私たちを迎えて下さると言う事である。
あなた方は心を騒がせてはなりません。
神を信じ、また私を信じなさい。
私の父の家には住むところがたくさんあります。
そうでなかったら、
あなた方のために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。
わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、
また来て、あなた方を私のもとに迎えます。
わたしがいるところに、あなた方もいるようにするためです。
ヨハネ13:1−3