a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

T氏の訃報

a-doll2008-11-18

朝刊にT氏の訃報の記事が載った。
T氏は、高校の先輩でH子姉とは幼稚園からの仲良しだった。
ニュージーランドの大使を最後に日本に居られたが、10年前に脳梗塞を患って依頼ずっと養生なさっていたのだった。
私が中学生の頃高校生だったT氏は、家にも遊びに来られて良く見知っていたけれど、ハンサムで賢くて、スポーツも出来て女性にもかなりおモテになっていた。
幼心に『光源氏』みたいな人やなあと思ったものだった。
何時もトップに居て、人の面倒を見て、立派な地位に居た人が、思うようにならない自分の身体を持て余しておられたのだろう。周囲を振り回しておられたと聞く。
病気の彼の事は知らないから、私の脳裏に有るT氏は10年前にお会いした優しい紳士のイメージだけが有る。
ウエリントンと堺市姉妹都市になった記念の合同コンサートに参加しする為にニュージーランドへ行った。『ベルディーのレクイエム』を歌ったのである。
その時ちょうど大使をなさっていたので、日本大使公邸に招かれた。幼なじみの『Hちゃんの妹』ということで。
堺市の助役さんや偉いさん達、指揮者にソリスト達、その他このイベントの関係者に混じって、私一人がコーラスメンバーなのに招待を受けた。
公邸の門には大きな日の丸の国旗、広い立派な部屋に大きなグランドピアノが有って、天皇皇后の写真が飾ってあった。
昼食会の接待は大使館で働く書記官の男性達で、白人のニュージーランド人のメードさんが働いていた。
H子姉からのお土産を言付かっていたので、お渡ししたら、『Hちゃんに』とニュージーランド土産を持たされたのである。
その後クライストチャーチでもコンサートが有って、楽屋に私を尋ねて立派な男性が来られた。その方は総領事で「大使から連絡が有りました。ご滞在中に不都合な事が有りましたら、電話を頂きましたら対応させて頂きますのでご連絡下さい」とおっしゃった。
T氏はそういう細かい心配りが出来る人で、これにはびっくりと言うか感動してしまった。

帰国後お礼状を出したら、封書で達筆な返事が来た。光源氏は健在だった。
その後、数回同窓会の総会でお目にかかったが、いつも優しくて温和で素敵だった。
「今度、同窓会のコーラス部を作ります」と言ったら「それは良いね」と喜んで下さったのに、ついに亡くなってしまわれたかと思うと残念である。
H子姉も悲しんでいる事だろう。ご冥福を祈る。
写真は庭の山法師