台風のせいで蒸し暑い。
高温注意報が出ている。
どこにも行かず、例によって読書と映画で1日を過ごした。
月曜日だから掃除をした。
食事だけは朝昼晩とおやつをばっちりとっている
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聖書の女性(34)ーカナンの人の女
このシリーズではキリストはユダヤの女性だけでなく異邦人の女性の救いを願い活動されていると感じる。
聖書 マタイ15:21-28
1、カナン人の女
①娘が悪霊に取り憑かれている。22
②この女は「ギリシャ人」。マルコ7:24-29
※この箇所は疑問点も多い。
キリストが一見冷たく扱われているように見える。
キリストの真の意図は?
2、キリストの取り扱い
疑問その1、異邦人が「犬」26に例えられている。蔑視?
ここには蔑視の意識はない。イスラエルも「羊」で例えられている。
どちらも家畜であり当時の慣用句である。→
犬どもが私を取り囲み、
悪者どもの群れが、私を取り巻き、
私の手足を引き裂きました。 詩篇22:16
疑問その2、「イスラエル以外には遣わされていない」24 と拒否しているかに見える。
これは福音の伝達順序の強めるためで差別ではない。
先ず旧約時代からの神のことばを聞いてきたイスラエルに伝え、次に異邦人。
キリストがこの地に来られたこと自体が既に異邦人の救いを考えておられる証拠である。
疑問その3、「子供たちのパンを取り上げて子犬に投げてやるのはよくない」26
この言葉は「却下」ではない。
「信仰のチャレンジ」である。
ギリシャ人の婦人が娘の癒しを求めて主の所に来た時、御言葉の知識もなく、
主を単なる「霊能者」とみなしていた可能性が有る。
「ダビデの子よ」と呼んだのも深い意味からでなく当時のユダヤ人の表現を使った。
主は、この婦人が「執拗に」求めてくることを知っておられ、彼女の信仰強化を願われたのであろう。
※聖書には神が人の願いを聞きながら直ぐに答えない事が多く記されている。
それを却下と読んでしまうと聖書が読めていない事になる。
キリストの関心は常に人間の信仰強化にある事がわかる。
求めが強いとき、目先の事に心奪われて、真の必要が見えない事が多い。
主はある程度求める期間を経る事を私たちに科せられる。
その期間を通して、願いが純化され、真の必要が何かを知っていくのではないだろうか。