クルミは9歳。
朝は東の窓辺が暖かい。
床はママがガス代をケチって冷たいし、こたつも電源が入ってないから寒い。
しばらくこの季節はクルミにとっては苦難の日々が続く。
今も私の膝の上で丸くなって寝ている。
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喜びの生活(7)ーパウロの喜び
金剛バプテストキリスト教会婦人聖書の集いより
聖書 ピリピ1:12-21
ピリピ書は獄中書簡と言われる。
パウロが牢獄に中で書いた。
普通ならこんな事で喜べないだろうと思う言葉に驚かされる。
その「喜び」を体験できるなら、人間関係ももっと高いレベルに生きることができるのではないか。
1、パウロに敵対する人たち
パウロには協力者が多くいたが、敵対する人もいた。17
敵対者たちも伝道はするのだが、15
彼らの動機は投獄中のパウロを中傷し更に苦しめた。17
2、パウロの喜び
そんな敵対者たちに囲まれる中でパウロは「そうです、今からも喜ぶことでしょう。」18 と語っている。
どうしてそんな中で喜べるのか?
①パウロの喜びの視点
「自分の苦しみ」に視点があると、この種の喜びは見いだせない。
②彼の視点はどのような形であっても(正当な動機からか不純な動機からか)「キリストを宣べ伝えられている」そのことを喜ぶという視点にある。18
③パウロの喜びの源泉
・「生きることはキリスト。」
生きることを通してキリストによる救いと力を体験できること。
・「死ぬことも益です。」21
死ぬことは天でキリストにまみゆることができる光栄の時である。
※だから敵対者に苦しめられることは死に近づくことかもしれないが、それは天に帰ることのできる光栄なことだから、どちらにしてもパウロには「喜び」なのである。