朝、姪のMちゃんから電話があった。
昨日のブログを読んでくれたらしい。
「お父さんのどんなことでも良いから全部聞きたい」と言った。
私自身の父は、仲間内で「校長先生」というニックネームが付いていた位、品行方正な人だったけれど、兄の場合、若い頃に放蕩息子をやっていたので、自分の子供達には秘密にしていたことが多かったのだ。
亡くなった兄の過去のことを暴いて喋るのも気が引けるけれど、
「悪いことも全部知りたい」と姪はいう。
「叔母ちゃんとこへ聞きに行くわ」と言った。
私が死んでしまったら秘密はそのまま秘密のまま。
事実は闇の中に葬られる。(←ちょっと大げさで芝居がかっている私)
今度来たら色々教えてあげようと思っている。
ブログでは少しだけ話しておこう。
戦争が終わって我が家にも平和な日々がやってきた。
兄は大学へ進学し京都で下宿をした。
厳格な両親から放たれて自由を満喫したのだろう。
勉強もしたのだろうけど、遊びも凄かった。
家に帰って来ずに「金送れ」の人だった。
その頃、京都の呉服屋さんのぼんぼんとつるんで遊んでいた。
彼はMさんと言った。
兄は帰省の時、何度か一緒に家に連れて来て、ご飯も食べて泊まって行った。
食料事情がまだ良くない頃だったから、再々来る彼のことを陰で妹と「あついおかまのしいたけさん(あつかましい)」と悪口を言ったのを覚えている。
兄が言った。
「あいつと遊びに行くやろ〜。電車賃は『僕買うわ』と出しよんねん。
次に映画館に入る時兄ちゃんが払う順番や〜
安い時に僕払う、と気前よう出して高い値段のときは知らん顔や。ずるいしぶちんやねん」
私は彼が兄をそそのかして悪い遊びに誘ったとずっと思っていた。
Mさんのその後の消息は知らない。
Mちゃん。
続きはまた来た時に話してあげるからね。
今日はこれまでにしとく。
ひどい写真だけど西陽をバックに。
妹と私は角帽を被った大学生「あついおかまのしいたけさん」と結構仲良しだった。