今朝もインターネットのライブ礼拝。
裏庭でヒヤシンスが咲き始めた。
球根は20個ほど埋まっている筈で、全部咲いた頃に切り取って花束にして夫のお墓まいりに行くつもり。
夫が亡くなったのは3月21日。
いつの間にか12年も経ってしまった。
玄関の傘立てに杖が1本挿さっている。
夫が使っていたもので、夫の身の回りの物は全て処分したが、これだけ何故か捨てずに置いて年月が経ってしまった。
晩年足腰が弱って「歩くのがしんどいからステッキ使うわ」と持ち歩いていた。
出かけるのが大好きだけれど、歩くのが面倒といつもタクシーを使う。
車の運転は下手なので早々に止めてもらった。
友人の多くが「止めるように署名運動をしよう」というぐらい危なっかしい運転振りだった。
もし生きていたら今90才。
我儘で、辛抱が出来ない人だったから、今のようにコロナで家にじっとして居ろ、となったら大変だろうと思う。
外出が好きで、人と喋るのが好きで、俳句の吟行や謡曲の稽古、お能や芝居を観たり、コンサートに行ったり。
家にいるときはテレビで野球を観るか、誰かと大声で電話で喋ったり笑ったりしているか・・・兎に角嵩高い人だったから・・・。
杖の話に戻る。
何故捨てなかったかというと、私が足を悪くなったときに使えるかも・・・というケチな考えが過ぎったのであった。
考えてみたら夫は背が高く大柄だったからチビの私には杖は長すぎる。
その上私は歩くの大好きで、まだ早足でテクテク歩けて、杖を必要とするのはまだもう少し先のように思える。
というわけで、傘立てに形見の杖が挿さったままで日が過ぎて行く。